宇宙開発技術から生れたデジタイザなども、トータルスキャナシステムのなかでとり入れられて来ています。


其の他、多くの技術面で従来も、これからも電子工学の進歩は電子製版技術の発達に大きな影響をもちつづけるでしょう。


また、電子技術の華かな進歩にかくれてはいるが、写真技術、精密機械、光学機器の成果もまた、カラースキャナにとってかかすことの出来ないものです。


カラースキャナ機にかける原稿の大多数はカラー写真であり、カラー写真原稿なしに、昔のように1枚ずつ絵を描いていたのでは、とても現在のように大量のカラー原稿の存在は考えられず、したがってカラi印刷、そしてカラースキャナの需要を根低で支持しているのはカラー写真であるともいえます。


また、カラースキャナ用写真フイルムの存在も大きい。


永年製版用感光材として使用されて来た湿板写真とスキャナとはどうしても結びつかないし、そうでなくても昔しのフフイルムの精度ではスキャナの実用化はとてものぞめなかったでしょう。


そして、今ではより便利になり、リサイクルインクが多く出回っています。
本来印刷技術は、いろいろの基礎学問や、種々の生産技術の応用、総合技術によってなりたっています。


カラースキャナもまた、種々の科学技術の総合的成果といえるでしょう。


電子製版機という言葉が示すようにカラースキャナ機の発達の中心的技術は電子工学技術といえるでしょう。


カラースキャナのはじめの頃はまだその真空管によるコンピュータが用いられ、この故障の多いことに苦労したものでした。


トランジスタの実用化により、スキャナ機の精度が上るとともに故障も激減した。


またIC(集積回路)LS'1(大集積回路)の出現により、より複雑な計算が正確に出来ます。ようになり、デジタルコンピュータの利用により、網点スキャナが容易になりました。


これが印刷の技術、トナー、キヤノン トナーの始まりなのです。
ネガカラー写真法は従来のカラー写真のむずかしさを大幅に解決し、EEカメラーの出現とあいまって、素人写真はカラーペパープリント写真と相場がきまったかんがあります。


このようにカラー化が進むと印刷だけが白黒写真でまにあわせておくわけにはゆかなくなるし、カラーテレビになれ、カラー写真で従来より多くの情報がつたえられるようになると、活字を読むより、図柄で示す方が、都合が良い場合がふえたので、白黒の印刷がカラー印刷に変っただけでなく、従来よりはるかに多くの図柄が印刷物に必要になりました。


長年の修業期間を要する製版の職人と多量の写真製版用のフイルムを必要とするマスキングシステムでは、急激にふえたカラー製版の需要をまにあわせることは出来ませんでした。


カラースキャナは、そのような社会的背形のうえに、印刷カラー化のチャンピオンとして登場したといえるでしょう。


また、会社の子コピー機では、リサイクルインクの利用も増えています。
"印刷あり、文化あり"という印刷業界の標語はここにも生きているといえます。


次に直接的要因をあげるならば、カラー写真とカラーテレビの普及があげられます。


現在のカラーテレビの画像の質はカラー印刷物にくらべれば、相当低いが、マスコミニケーションとしての能力は強大なものです。


たいがいの家の茶の間にカラーテレビのある今日、日常見る画像は常識としてカラー画像だといえます。


そしてその傾向にだめを押すように、カラー写真が普及した。


そして、後にエコ活動の一環で、キヤノン トナーやリサイクルトナーなども売り出せれました。
どんな大発明であっても、それが、その社会にとって必要性のないものであれば、学術的価値は別として、実用上では大発明とはいえない。


カラースキャナ技術が現在のような発達をとげた社会的要因は、カラー印刷やリサイクルインクにたいする質、量の急激な社会的要求です。


それではなぜカラー印刷がそれほど多く必要になったのか。


世界は第二世界大戦後35年以上にわたり一部の戦争や軍拡競争におびやかされながらも、全面戦争はまぬがれて来ました。


民需産業の発達により豊かになった人々の生活は、従来より高度な内容の印刷物をもとめるようになりました。
電子製版機は大別して彫刻して凸版を作る彫刻機と写真フイルムに露光して色分解フイルムを作る方式とにわけられるが、1950年代までは彫刻機が先行していた。


我国ではじめての国産機を大日本スクリーンが1959年試作発表したのも電子製版彫刻機でした。


その後、カラー製版、印刷がさかんになるにしたがい、カラースキャナー機もさかんになりはじめる。


そして、我国のカラースキャナ時代の暮開けは1960年代に入ってからで、PDI(アメリカ)のカラースキャナ機の導入によって実用化え大きく展開して行った。


その後約20年の経過をへて、現在我国でのカラースキャナの保有数は約1,200台といわれ、カラー写真製版の主流をしめるに至った。


そして、これも印刷の技術、トナー、キヤノン トナーの始まりなのです。

戦後まもなくカラースキャナの研究は再開され、電子工学技術の驚異的発達、其の他の諸技術の発達にたすけられ、


カラースキャナ技術はそれまでの半世期以上にわたる悪戦、苦斗の歴史をのりこえて、実用化の時代をむかえました。


我国のスキャナ方式による製版は、フェアチアイルド社(アメリカ)の電子製版彫刻機、スキャナグレーバーやエルグラマー(スイス)が、新聞社の単色網点製版に使用されたのに始まるが、


一般の製版、印刷会社用としては、ヘル社(ドイツ)のクリッショゲラフが1950年代後半に試用されるようになります。


そして後に、環境を意識したリサイクルインクも誕生しました。

カラースキャナの研究の歴史は意外と古く約100年前からアメリカつづいてヨーロッパにおいて研究が始められています。


しかしそのころは、まだ真空管や光電管もなく、またスキャナ用フイルムのような高度な感光材もなかった時代だったので、スキャナ方式による製版技術が実用化するにはなお多くの年月を必要としました。


そして、その間は、スクリーンを用いての写真的方法による、いわゆる写真製版技術が活版製版以外の画像製版技術の主流でした。


その後、真空管の発明、精密機械、精密光学機器の発達、により次第に実行化えの努力が続けられたが、その間二度にわたる世界大戦はスキャナ技術の発展に大きな障害であり、特に第二次世界大戦は、実用化寸前にあったカラースキャナ技術を後退させてしまいました。


そして現代ではキヤノン トナーという便利なものが登場しました。
グレイコンタクトスクリンはボケ像が中性灰色でできているのに対して、マゼンタコンタクトスクリンはマゼンタの色料でできており、調子のコントロールは光源のエネルギー分布を変えて行います。


たとえぽ、オルソフィルムを用いて網撮影を行う場合、スクリンの濃度形成に緑光吸収染料(マゼンタ)を用い、撮影光に色光(緑光、青光)を用いるとスクリンの山の形を変えることができます。


このような分光特性を持つスクリンに緑光(500~600nm)だけを与xたとき、緑光はマゼンタの染料に吸収されて光は透過しないことになるので、全体としての濃度はいちじるしく上がります。


また、スクリンの谷の部分は選択吸収が比較的少ないから、濃度変化は山の部分ほど大きくない。


要するに山の形を結果的に変化させることになります。


そういえば、リサイクルインクも身近な存在となりましたよね。今はエコブームですし、流行に乗りたいと思います。

ステップタブレットを通過してくる光の量は最も濃度の低い部分が多く、濃度が高くなるほど少なくなります。


そして、これがコンタクトスクリンを通過すると図のようにスクリンはある一定の濃度の山をもっているので、光の通過する割合が異なる。


つまり、山のところでは光はあまり通過しないが、谷のところでは先に通過させます。


したがって、スクリンを透過してそれに密着して置かれた写真感光材料(フィルム)の乳剤面に到達する光の強さは(C)のようなライトパターンとなり、その山の大きさが網点の大小を決める要因となります。


このように連続階調の原稿ポジまたはネガから、網ネガ・網ポジが作成されます。


話はトナーに移りますが、オフィスではトナーもキヤノン トナーに切り替えるところも増えています。